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働く車(ダンプ)

もう7月も終わり、ジメジメとした梅雨も明け、ようやく夏がやってきます。頑張ってるんだから絶対来る~なんて思わないといられない位、忙しい。多忙な日々が続きます。
ポツリ、ポツリと人が辞め、補充も無いまま、残っている人に負荷が掛かる→キツくて辞める悪循環、残業して穴埋めしようと思っても「働き方改革」とかで残業も思う様になりません。
「AI化で仕事が無くなる」とか「IOT」とかバラ色の将来が予想されておりますが、末端で作業する人々の苦労は変わらん。運送業だってトラックの自動運転化、とか「AIによる効率的な配送」とか言ってるけど、ラスト1マイルはどうする?ドローンで運ぶ?いやいや・・・どうしたって最後は人間の手が要るんじゃないでしょうかね?それともAI搭載の人型ロボットが荷物を持ってマンションの階段を上がってきてくれるのかしら?
愚痴を言っても仕方無い、働かなくともオマンマの食える時代がきっとくる、頑張ってるんだから~ そんな第4次産業革命時代を生きる大黒摩季が贈る、第86回目の働く車はコレ!!私の夏は きっと来る~

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晴天の下、佇むスーパーグレート。ハイルーフのキャブ、濃紺のボデーにメッキが渋く光ります。グリル形状などから平成15年頃のモデルか?

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サイドビュー、何となく普通っぽくて普通でない。気持ち前進しているフロントバンパー。一つ上の写真でも分る通りダンプ用のメッキバンパーにカーゴ系のスカートを取り付けております。これにステップスカート装着。メッキフロントフェンダー。ホイールはアルミホイール。更に注目したいのは上部に目を移して頂いて・・・ベッセルの前部プロテクター形状。良く見るダンプはプロテクターがキャブ上に「¬」状に飛び出し、物置き的な機能を備えていますが、こちらは一枚板、ストンと落ちる形状。見た目的にも少し不安定な感じ。

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少し角度を変えて・・・良いですね。青空を突くプロテクター、ぶら下がるスコップ。
プロテクターは高さを後で増しているのでしょうか?何かラインが入っていますね。プロテクター梯子もそのラインで先端が細くなる独特の形状。
自動シートはクイック。羽はグレーのタイプ。

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一枚板の巻き込み防止装置、その奥に鎮座するアルミ製300Lの燃料タンク。
シャシオレンジ。
巻き込み防止装置はステップを兼ねるのか、上縁に縞板を貼っています。
お待ちかね、リアエンドの様子。

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ポジションの関係で近くから撮れないが・・・鉄道写真用望遠レンズに掛かればなんのその・・・何か、割と良く撮れた(ww ダンプらしいショット。
駄菓子菓子・・・下回りはネットが邪魔で良く見えない・・・上に目を向けると面白い
リア煽り上縁がやけにスッキリしている。
通常、煽りヒンジ上げ・・・とまでは言わないまでも、リアの煽りの上には何らかの空間があるのが一般的だと思うのですが、コレはそうでは無い。
支柱があったかと思うと即、上縁、すりきり一杯的な感じ。

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近寄って・・・支柱の上、何ら余計な空間が無く、直線で構成されている。

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こちらは、一般的・・・だとうと思うリアエンド。ヒンジ上げは別としても、支柱の上に若干の空間がある。

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良く見ればヒンジ部に何か加工の跡がある。例えば・・・デカ箱のダンプを元に戻した・・・とか、改造されていたのかも知れませんね。

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無理やり撮った下廻り。角型三連テール他、キラキラしてます。

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一応反対側、基本的に同じ作り、格好良いですね。

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架装メーカーは新明和、最大積載量は9,000kg。前出しバンパーにメッキが似合う、ふそうスーパーグレートハイルーフダンプのご紹介でした。

<おまけ>

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一面の青、ここは涅槃か極楽か?

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少し前、5月に行ったひたちなか海浜公園のネモフィラ。今が盛りと咲誇る

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勿論人も凄いが・・・
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ファイル入手

何やら多忙な日々が続き、いつの間にか5月も終わり、もう6月です。
「働き方改革」とは言うものの、仕事は減らず、結局、付いていけない若者は辞め、残ったものが仕事をする→付いていけない人が辞め・・・悪循環ですな。
it化、ai化が進めば、人は要らなくなる・・・とか言われていますが、多分そんな事は無い、末端で作業をする人では必ず要る訳で・・・まぁ頑張りましょう。

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そんな中、ひょんとした事から入手した某県のダンプ協会のクリアファイル。モチーフは日野スーパードルフィンでしょうかね?「安全第一」と指差すおじさんが可愛い。
でも良く見えない?そんな要望にお応えして・・・

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クリアに表示。
「土砂積載ライン ここまで」実際にベッセルに記載しているダンプを見た事があります。

一方裏面は

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ダンプ番号の記載要領が事細やかに・・・これからダンプを買う方は参考にして下さい。
そうだ!ダンプ協会に入ろう。そうだ、選挙に行こう的なスローガン、魅力的ですね。

又一つ、宝物が増えました。

<おまけ>
ほとんど乗らない原付バイク、YB-1 four号ですが

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ようやく10000km達成。

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18年末、洗車直後の姿。

これから乗りまくるぞ(嘘

働く車(クレーン付き)

今年もやってきましたね、花粉症。別に来て欲しい訳じゃないのに毎年来るのもご愛嬌。今年は例年に比べ症状は軽く済んでいる・・・と思いきや、ここにきて数日、鼻水ズルズル、目がカユカユの日々が続きます。
そんな中、観て来ました、映画「シティハンター 新宿プライベートアイズ」。しかも今回は10歳になる娘からのリクエスト。さて10歳の娘に「新宿の種馬」「もっこり」「冴子と100発」とか見せて良いのかなぁ~と悩んでいましたが、どうやら千葉テレビで夕方、再放送していたのを見ていたらしく、特に恥ずかしくも無く、また意味も分る、との事。美女にもっこりしてしまい香に100tハンマーで殴られる様をオモシロオカシク観ておりました。ストーリーも悪の手先に追われる美女にもっこりしつつも、最後は腕利きスイーパーらしく格好良く殲滅する、ジャンプ時代そのままの王道ストーリーで、ontimeでジャンプで読んでいた庵にも違和感無く受け容れられものであり、何だか数十年ぶりの仲間に会えた様な懐かしい気分になる事が出来ました。
さてシティハンターと言えば「get wild」、今聞いても全く懐メロ感無く、約30年間にコレを作った小室哲哉はやはり素晴しい、と思わざるを得ない訳であります。
今でも夜、ドライブする時は「アスファルトタイヤを切り付けながら~」等と口ずさむ訳でありますが、こちらは既に若者には通じない。同じ小室でもこちらは小室みつ子女史による作詞。時にWildに、時にtoughに、偶に美女にもっこり、そんな格好良い男にオレはなれただろうか・・・?なぁ10代の頃のオレよ?そんなジャンプ黄金期を送ったオッサンが贈る第86回目の働く車はコレ!!

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佇むいすゞエルフ、尖ったバッタの様な顔つき、smoother-E搭載のコレは2004年~06年頃のモデルか?天井、特大のルーフキャリアの上から飛び出す黄色いクレーン。何やら貫禄は満点だが・・・横へ廻ります。

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なんか突っ込みところの多いサイドビュー。
一見すると簡易クレーンの付いた深煽りのダンプの様ですが、ちと違う。クレーン後部にある黒いフック状の物体と、それを受ける荷台前部の引っ掛かり。そうこれは簡易クレーン付きの脱着式コンテナ運搬車。

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ルーフキャリアはいすゞオプションでは無く、一品生産モノ、良く見ると縞板で作られた土台の上に箱が乗っている様。多分蓋も付くのだろう、蝶番が錆び付いている。
その上に乗る前方格納のクレーン、黄色・・・古いタダノの乗せ替えか?と思ったが・・・

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良く見ると「新明和」。CBZR293、その名の通り2.9t3段吊。フックイン付き。新明和、珍しいな・・・仕事の関係かな?等と考えていました・・・が、新明和クレーン、今はタダノからのOEMなんですね。昔、新明和のクレーンはCBシリーズと言う名称でしたが・・・そうか、「CBZR」と言う名は、新明和の「CB」+タダノ「ZR」シリーズなんですね?

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反対側には縞鋼板で作った物入れが付く。巻き込み防止装置はパイプ1段、極めてシンプルなものを装備。
クレーンはこの位にしてコンテナ部へ。

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コンテナ部・・・っても脱着式コンテナ運搬車においては、これは積荷になる。ややこしいが文句を言っても仕方無い。コンテナの細部を見てみる。ってもアングルの関係で全体を撮れない。この様に形態としては深煽りのダンプ的なコンテナであります。産業廃棄物収集運搬を行なう業者に多いタイプ。

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コンテナであれど「ダンプ的」となれば見所はここな訳で・・・上部に観音式の扉を装着、下部は下ヒンジのゲートを備えている、やはりペットボトル、プラゴミ等の収集運搬を行なうダンプに良く見られるタイプのゲートを備えています。

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反対側からも、観音扉のヒンジ、観音扉の開閉は、下部のテールゲートにロックピンを差し込んで止めるらしい。その下部ゲートはエビキャッチで固定される。強度的に大丈夫か?心配になるが、まぁ大丈夫なのだろう。煽り上縁にロープ穴が付いている。2つ上の写真、前部上縁にもついている。四スミにワイヤを掛け吊る事もできる。ダンプには無い、コンテナらしい装備。

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煽り側面の下部にはロープフックが付く。錆の目立つ泥除けはシャシ側に付く。フェンダー後ろに付く丸、白黒計2つ。

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あまり良いカットで撮れなかったが・・・白い丸はコンテナ下部に付く車輪。黒い丸はシャシ側に付く。コンテナを引き上げ車載する際に“コロ”の役割を果たす。

このブログに来る方々に脱着式コンテナ車の作動ギミックを知らない人は居ないと思うが一応念の為。

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これは別の車だが、「脱着式コンテナ運搬車」の本体。コンテナが無いとフレームに泥除けが付いただけの姿になる。後端に付く黒い車輪が上述した“コロ”の部分。黄色いフックをコンテナの「引っ掛かり」に掛け、背負い投げの要領でフレーム上に担ぎ上げる。

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こちらもあまり良い写真で無いが・・・フックをコンテナ前部の引っ掛けに掛け、そのままフレーム上まで持ち上げる。コンテナはフックで引きづられ、後端の車輪でゴロゴロ動く。そしてフレームに付く黒い車輪を支点に梃子の要領で引き上げられる。良く考えられていますね。

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前方格納式クレーン特有の前に突き出す姿も好ましい。最大積載量は2,850kg。尚、積載量にコンテナの自重も含みます。いすゞエルフ、クレーン付き脱着式コンテナの紹介でし・・・・って、おかしい!?何かが引っ掛かる!このまま終わって良いのか?心の中のサイレンが鳴る!!

もう一度、クレーン。

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うん、新明和、間違い無い。
反対側、コンテナ運搬機は?、と・・・

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ゲェッ!極東開発!!迂闊だった、クレーンが新明和だからコンテナ部も新明和の「アームロール」と勝手に思っていたら、極東の「フックロール」だった・・・トラックを見続けて、はや20年、こんな簡単なトラップに引っ掛かるとは・・・トホホ・・・
先入観、思い込みでモノを見ては行けない、改めて思い知らされました。

それにしても、それなら何故ゆえに、新明和クレーン、極東フックロール・・・の選択になったのか?
失礼ながらどちらも、業界一のメーカーでは無い。ご存知の通り、トラック架装用クレーンと言えば、タダノ・ユニックの2大巨頭でほぼ100%占められており、またコンテナ部については、その代名詞が「アームロール」となる等、新明和の比率は高い。
特段、取引先の都合が無ければクレーン「新明和」のチョイスは無い。しかし・・・仕事の都合でクレーン新明和なら、コンテナのメーカーも新明和で無ければならないのだ。
勿論、トラックメーカーの営業、売る側からもこの様なチョイスはしない。先ず新明和クレーンを推す理由は無い。それでも、仮にユーザーの都合で新明和クレーンを推すなら、コンテナ部も新明和アームロールもセットで選定するだろう。

仮に極東フックロールが先に決まっていたとしたら・・・それでもクレーンはユニックorタダノだな、新明和クレーンの選択は無い。

考えれば考えるほどに良く分らん組み合わせではある・・・


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改めて・・・新明和の銘板と極東開発の銘板が一同に会す貴重な(?)ショット。ライバル企業同士が手を組んで・・・

クレーン付き脱着式コンテナ運搬車は、架装メーカーも「新明和」と「極東」のハイブリッド、いすゞエルフのご紹介でした。

<おまけ>
先日、新青森経由で秋田の大館まで行って来ました。

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降り立った新青森駅で、ねぶたがお出迎え。

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喉が渇いたので、お茶でも買おうと思ったら・・・青森県人はりんごが大好きらしい・・・

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乗換え列車待ちの間に現われた貨物列車、日本海縦貫線の新エース、EF510-14の牽く4090レ。青森を発車し吹田を目指す。
庵も30分後にやってくる普通列車秋田行きで大館を目指す。

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やって来た秋田行き、ここでもコイツに会うとは・・・秋田のE701系、ロングシートで大館を目指す事になる。(写真撮り忘れ、この写真は18年2月に同駅で撮ったもの、上の写真と雪の量が違いますね)

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途中にはこんな風情豊かな駅も・・・碇ヶ関駅、思わず途中下車したくなる。

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目的地、大館、寒い、東京と寒さのレベルが一段違う。

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大館は駅前にいきなり廃線跡の広がるファンキーな街。

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上記2点は2013年1月に撮ったもの。同和鉱業小坂線の遺構。
いつまで残るか?と恐れていたが、今回訪問した際、ついに撤去作業が始まっていた・・・仕方無い、いつかきっちりトレースしなければ・・・と思っていたが時間が無い・・・あぁ大館は遠い・・・

働く車(ダンプ)

何かと多忙でいつの間にか年も暮れ、なんやらかんかやら年も明け、あっという間に19年も2月末になりました。
今年は暖冬ですな、関東で雪が積もるのは今まで1回、このまま終わりそう。偶に上越新幹線にのっても越後湯沢辺りの雪は少なく、心配になりますね。
そんな中、レンタカーを借りたのですが、タイヤがiceguard、昔はヨコハマかぁ・・・って、ガクってなったのですが、今は進化しましたね。全く心配なく動いて止まる。少なくともタテ方向の挙動には全く心配無い。ヨコ方向はスピードを出さなければ良いワケで・・・
庵が免許取り立ての頃はスパイクタイヤが使えたのですが、免許取得後、1~2年でスパイク廃止、初期の頃のスタッドレスは酷かった。止まらない、走らないは勿論、スパイク廃止で登場したミラーバーンに全く対応できず、一度凍れば信号待ちで止まっている時でも道路の傾斜で左側にズリ落ちる始末。それに比べれば良くなった、この20年、スタッドレスは良くなった。戦後、女性とストッキングは強くなった。そんなパンスト仮面が贈る第85回目の働く車はコレ!!

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佇むクオン。グリル、バンパ、コーナーカバーにミラー類、一通りメッキも決まって格好良い。グリルに「NISSAN DIESEL」の文字。2010年以前のモデルか?

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サイドビュー。若干ベッセルを揚げて待機姿勢。逆光でよく分らないが自動シートはブルー。プロテクターは全て直線と直角で構成さてておりスクエアな印象が強い。GVW20t級ダンプのベッセル長は大きく分けて5,100mmと5,300mmの二種類があるが、こちらは長い5,300mmと思われる。地区によって好き・嫌いがあると思うが、庵は5,100mmタイプの方が纏まっていて好み。

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フェンダーはアルミ縞板で作ってある。

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反対側、逆光で良く分からなかったが塗装は茶色っぽい。

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自動シートにもダンプナンバーが記載してある、この辺は陸事の見解の違いが見えて興味深い。

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角型200Lの燃料タンク。巻き込み防止は各パイプ2段、丸パイプの計3段。その後ろの大吾朗ペットボトルは予備の燃料用か(笑

さてテールエンドに廻ってみます。

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リア全景。このダンプ全体の印象と同じだが、取り立てて追加架装は施されていない、ストレートな造作。まぁ昨今のダンプは仕方無い。派手な車輌はゼネコン等の工事を請け負う事が出来ないからね。

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但し後部突入防止のみ丸パイプになっている。譲れなかった一点。何となく、この運転手(会社)の意気込みを感じる。

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年式のわりに擦れておらず綺麗な荷台。リアエンドの周りの汚れと合わせて考えれば、積荷は土砂では無く、軽く細かいもの。粉流体っぽいもの、脱水汚泥とかそんなものか?ただ深煽りにしていないしな?

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フレーム間には縞板で作られたモノ入れ。テールランプ類は純正。
架装メーカーはコダイラ産業、最大積載量は9,000kg。

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キャンターと横並びで。今は亡き日産ディーゼルのフラッグシップ、クオンのダンプのご紹介でした。

<おまけ>

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お皿にのった唐揚げ。一見なんて事の無い光景だが・・・
この唐揚げ、ただの唐揚げでは無い。このこんがりとした揚がり具合、唐揚げらしくない均整の取れた形態。そうこれはローソンの売上no1、唐揚げ君。何となく2パック買ってみた。
「唐揚げ君を腹一杯食べてみたい」デブの夢が今、かなう。

越後交通長岡線~越後大津あたり~

寺泊から与板を抜け、槙原まで県道170号線沿いに走っていた長岡線は左に進行方向を変え、ひたすら田園地帯を進む。これをトレースしようとすれば農道に踏み込むしかない。

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農道を横切る長岡線。奥が槇原方面。下手をすれば長岡線では無く、地平線が見えそう。田園地帯、ってか田んぼの真ん中を進む。
この様に農道を線路に沿って進むと妙な物体に出くわす。

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ゴロゴロと転がる物体、何かレールが突き刺さっている。奥には木の棒、こちらは地面に突き刺さっている。もうこれが何だったのか知る人も少ないだろう。来るたびに何か少しづつ減っている。時の経つのを実感する。

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20年前はこんな感じだった。中央を走るレール、横切る踏み切り。消雪パイプは廃止後に設置されたらしい。角栄さんの威光か?線路を撤去するでも無く、若干遠慮気味に設置されているのが面白い。この時、既にあったコンクリ塊。その奥に続く2本の柱の列。そう、ここは駅だった。称して「越後大津」。写真左手に小さな集落がありその為に設置された駅らしい。

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20数年前訪れた時も良く分らなかったのだろう、写真は当時は貴重であったが、一応アップで1枚残している。プラットホームへ登る階段、これがコンクリでその残骸。その説も考えられるが、それよりは、恐らく「踏み切り注意」とか書かれた標識、或いは駅名票の支柱とその基礎部分ではないか?と思われる。こんなに大きかったコンクリ塊も風化して随分と小さくなった。
コンクリの奥には木製の柱。この上に木の板を渡しホームとしていたのだろう。作りとしては大河津分水等で見られた土留板を使用した土盛のホームより、もっと簡易なもの。

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反対側から、一応、駅全景。二列に並んだ柱。この頃はレール、架線柱とも残っていたが、他にソレらしいモノは無い。従って「駅跡」と言われてもなかなか往時を想像できない。駅前商店街なんて勿論無いし第一周囲に人気が無い。凡そ駅と言うものが設置されるロケーションではないのだ。

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20年を経て柱は二本だけになった。コンクリの土管も崩れながらも現存。位置的に肥溜めか?(w

ここから脇野町へ向けて黒川を越える為、徐々に築堤を登って行く。

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奥が脇野町、この頃は未だ柱は3本残っていた。

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途中の踏み切り。奥が脇野町。

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踏み切り脇には水路を渡る小さな橋梁と焼却炉。廃線跡には何故か高確率で焼却炉がある。
更に築堤は高さを増す。

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ここにも開渠。

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同じ橋。この頃はレールも枕木も残っていた。

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築堤に登り、振り返る。三角屋根が先ほどの踏み切り辺り、その奥に越後大津がある。

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振り返り脇野町方。
ここには黒川を越える橋があった。白い下路プレートガター橋。3スパン4連。結構長い橋だったと思う。渋海川に架かる橋梁と共に長岡線の大きな遺構であったが黒川の河川改修とともに撤去された。

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同写真を少しトリミングして。写真奥に見える白い建物が長岡線廃止後(2005年頃)、脇野町駅跡に建てられた農業用倉庫。丁度ホームのあった所に建てられている。その隣、白い三角屋根が鉄道現役時代からあった脇野町の農業用倉庫。その倉庫群に向い黒川の堤防から緩やかに下る築堤が見える。

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同地点。この頃、既に鉄橋は撤去されていた。

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同様にトリミングして。対岸には架線柱が残る。ゆっくり下りながら駅を目指す。黒い点は踏み切り用の継電箱。三角屋根の農業用倉庫が見える。この頃、白い倉庫は未だ無く、ホーム、レール、架線柱等が荒れ果てながらも残っていた。

中学生の頃、多分1985年くらい、地元から自転車に乗り約1時間。未だ残っていた黒川鉄橋を訪れた事があった。4月初旬、田んぼには未だ雪が残っていた。越後大津側から雪の中を進み、ようやく築堤に辿り着いた。そこから脇野町方を望む。その頃、橋にレール、枕木とも残っており渡ってみたい衝動に強く駆られたのを覚えている。しかし当時既に枕木はかなり抜け落ちており、また残っているものも白く痩せこけ、とても体重を預けられる状態ではなかった。また黒川も雪解け水で増水しており、もし誘惑に負け一歩を踏み出していたら多分、このブログを書く人は今、居ないだろう、と思う。
それでも探求をせざるを得ないほど、雪の中に残る廃線跡は趣があった。雪原にこんもりと浮かび上がる築堤跡。その上に乗る黒い二本のレール。沿う様に立ち並ぶ少し傾いた架線柱とぶら下がるケーブル類。だれも省みる人も居ない放置された感じ、寂寥感。
それだけ庵を惹き付けた廃線跡。この周辺は幸い、田園地帯で開発もされず、遺構は結構残ってはいたが、やはり年々、ちょっとずつ変化している。田を横切る築堤も積年の風雨で低くなりバラストは埋れ、他と判別できなくなりつつある。大規模な農地の再開発が行われれば跡形も残らないだろう。こちらは地域的に遊歩道とかになる事は無いと思うが・・・

鉄道がなくなりもう直ぐ50年、仕方無いのかも知れないが・・・かと言って、ここに鉄道を復活させ、西武の中古電車が走る・・・なんてのも望んでないし・・・複雑な気分になる。鉄道休止のまま、手付かずで残してある。なんてのが理想ですが管理の問題上、難しいんだろうな。安比奈線もついに正式に廃止となったし・・・


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